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「子どもに手を上げる親は最低」 そう感じる人がいますが、親(も含めて先生や年配者)が何かをするように求めたときには、黙って従うのは当たり前です。子どもなんですから。 口で言ってわからない子どもには、体に教えるしかありません。 「体罰にはよい効果をもたらすこともある」という調査結果もあるようですが、すべての体罰が悪いというわけではありません。このあたりを誤解している親御さんが、たくさんいるようです。 当然、虐待に当たるくらいに子どもを殴ったりするのはよくありません。 首を絞めたり、突き飛ばしたり、蹴りつけたりするような体罰はよくありません。また、道具を使って叩くのもよくありません。年齢でいうと、12歳までの子どもには効果的で、その年齢を超えると、あまり効果がなくなります。また、叩く前には、なぜ叩かれるのかの説明も必要になることも指摘されています。 「子どもを叩く親は、最低」と言われますが、子どもを殴っていい気持ちがする親なんていないのではないでしょうか。ごくごく普通の良識を持ち合わせた親であれば、子どもを叩いた後には、「申し訳ない」という気持ちでいっぱいのはずです。 そういう罪悪感を覚えること自体、親としての誠実さを持ち合わせている証拠です。そんな親が、最低であるはずはありません。よほどひどい殴り方をするのでなければ、子どもにゲンコツをして言うことを聞かせるのも親の役目でしょう。 「子どもを叩いていると、子どもが大きくなってから、逆に暴力を振るわれるようになるんじゃないか」ということを心配する親がいますが、事実は、逆です。小さな頃に言うことを聞かせられない親に対して、子どもは暴れるようになるのではないかと思っています。
たとえ、すぐに買い与えることができるものでも、「我慢しろ」と突っぱねるのが、正しい親のあり方だと思います。 子どもが100円のガチャガチャをやりたいと頼んできたとしましょう。 「100円くらいなら、いいか」とすぐに応じてしまうのは、考えものです。お金が安いから良いとか、高いからダメといった問題ではなく、我慢させる心を教えるのも、親の務めなのですから。 愛することとは、相手の要求を満たしてあげることですから、子どもが欲していることをすべて叶えてあげたいと思うのが親心というものです。 しかし、子どもの要求を一から十まで、そっくりそのまま聞いてあげるのが、愛情ではありません。何でもかんでも、子どもの言いなりになることを、愛情と勘違いしている人がたまにいます。それは違うのです、と念を押してあげましょう。 「我慢する」というのは、非常に重要なことです。 これができるかどうかが、子どもと大人を分ける要素であると、思います。何かをおねだりしてきたときは、我慢する心を教えるまたとないチャンスではありませんか。 我慢するのは、非常に大切なことです。 子どもが、「○○したい」と言ってきたときは、すぐに満足させるのではなく、少しだけ我慢させてから応じてあげるのもいいでしょう。拒絶ばかりされていたら、子どももイヤになってしまいます。応じられるものであれば、ある程度我慢してから、それに応じてあげるのです。 「ダメだ、一ヶ月我慢しろ」 「ダメだ、お前の誕生日まで我慢しろ」 子どもがおねだりしてきたときには、我慢する心を養うチャンスです。これを幸いとばかりに、満足をできるだけ遅らせるやり方を学ばせるのです。 おそらく、子どもは口答えをしてくるでしょう、「どうして一ヵ月後なの? 今すぐじゃ、どうしてダメなの?」と。 その場合には、「欲しいものを手に入れるには、時間がかかるんだ。『一ヶ月待て』って言ったのは、お父さんもお小遣いがなくて、来月にならないとお金がもらえないからだ」とでも答えておけばいいでしょう。 なんでもすぐに満足させてしまうのはよくありません。 耐える心、我慢する心、辛抱強さ、というものは大人になるためには絶対に必要な条件なのです。なるべく小さなうちから子どもにしっかり教えておきましょう。 |
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