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子どもは大人の明確な境目など、ありません。客観的に何か境界線があるわけではないのです。ですから、人間は、さまざまな儀式や儀礼を作り上げることにより、「さあ、ここから大人の仲間入りだぞ!」という線引きを行ってきたのです。 これを「イニシエーション」(通過儀礼)といいます。 大人になるため必要な通過儀礼なのですから、当然、過酷なものでなければ意味がありません。 ある社会では、子どもに危険なバンジージャンプをさせ、またある社会では火渡りをさせます。アフリカには、ハチにさされることをわざわざ強要するような社会もあるといいます。そういえば、かつての日本では、「元服」と呼ばれる通過儀礼がありました。 今でも、地方のほうに行くと、ある年齢に達した子どもを、村の若い衆と呼ばれる先輩たちがお祭りに引っ張り出したりするところもあるようですが、相対的に何の通過儀礼も経ないままに、「ただ何となく大人になっていく」のが今の日本の子どもたちです。 何の試練も与えないまま、そのまま大人にさせてしまうのです。 これでは、子どもは大人になることのありがたみを感じることができません。 「大人になる」ことの実感も得られないでしょう。 ある実験によりますと、厳しい通過儀礼を経て、ある団体に所属することができた人のほうが、通過儀礼もなく、簡単に加入が認められた人よりも、はるかに喜びが大きかったそうです。人間には、通過儀礼を経験することが重要なのです。 今の子どもたちは、「大人になる」ことを喜びはしないと思いますが、その理由は簡単で通過儀礼を経ないままに、何となく大人にさせられてしまうからです。20歳になったからといって、いきなり大人の意識など持てるわけがないのです。厳しい通過儀礼を経なければ、たとえ年齢が20歳以上になったとしても、人間は、大人になれません。 では、現代の子どもに何をさせればよいのかというと、それは「受験」ではないでしょうか。 受験は「戦争」にたとえられるくらい、過酷で、厳しいものですが、頑張って受験に取り組むという経験を通して、子どもは一皮むけたようになるのではないでしょうか。 受験では、受かった大学なんて、はっきり言ってどこでもいいのです。 「こんなに死ぬほど勉強したのは、はじめてだ」 「こんなに苦しい思いをすることは、人生で二度とないだろう」 と感じることが大切なのです。 今の日本では、受験くらいしか本気になれるものはありません。 英単語や、化学式を丸暗記することなど、社会に出ても役に立ちませんけれど、夜を徹して、眠い目をこすりながら知識を頭に叩き込むことによって根性が養われるのです。 受験を迎える子どもには、こう言っておくといいでしょう。「受験が終わり次第、私はあなたを大人として扱う」と。 |
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