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子どもは「型」にはめない方がよい、と言われるがたまにいます。偉い教育評論家だったり、有名な大学の先生だったりするので、ついうっかり納得させられてしまいそうになりますが、そんな主張に耳を貸してはなりません。 子どもを「型」にはめない教育は、自由なのではなく、怠慢です。 やるべきことをしないのは、子どものためになりません。これは絶対そうです。 「しつけにせよ、人づくりにせよ、強制するのは暴挙だ。そんなことをしているから、日本にはピカソのような天才が生まれないのだ!」 という論もあります。 ですが、「型にはめることなく、教育なんて本当にできるでしょうか?」と、私は逆に問いたいのです。ピカソはたしかに天才的な芸術家でしたけれども、デッサン(基礎)を軽視したわけではありません。しっかりと絵の描き方の型を学んでいたのです。 天才音楽家のモーツァルトにしても、そうです。 モーツァルトは、自分勝手に音楽の勉強をして天才になったのではありません。父親レオポルトの影響を抜きに、モーツァルトは語れません。とても厳しいお父さんが、子どもにモーツァルトに徹底的に「型」を仕込んだのです。モーツァルトは、その上で、音楽の才能を花開かせたのです。 人に教育を施すときには、きちんと型にはめ込んであげるのが正しい姿勢です。 会社でもそうで、部下に自由に仕事をやらせるのはけっこうですが、それはある程度、仕事の経験を積んだ部下に対してだけです。 新入社員に何の研修も教育も行わず、「さあ、自由にやっていいですよ」などと言ったところで、たいした仕事はできないでしょう。 教育というのは、どんなにきれいごとを言ったところで、型にはめ込んでいかざるを得ないものなのです。そこには、当然のように、強制が働きます。相手が伸びるのをいつまでも待っているわけにはいきませんから。 「子どもが自主的にやる気になるのを待つ」といっても、いつまで待てばいいのでしょうか。ひょっとすると大人になってもやる気にならないかもしれません。そのときに後悔しても遅いんです。「後の祭り」というのは、こういうことを指します。 教育はしっかりやらないとダメなんです。 ある大学の心理学者が、ある中学校では先生が厳しく統制した授業をしてもらい、またある中学校では生徒の好きなように学ばせた方法をとってもらいました。 数ヵ月後、科学と英語の科目に関してのみの比較をしたそうですが、生徒の自由を認めた中学校では、どちらの成績も劣ることが明らかにされたのです。 放っておいたら、生徒はやる気になんてならないのです。 「これ幸い」とばかりに手を抜くに決まっています。 みなさんが小学生、中学生だった頃のことを考えてみてください。 担任が出張などで、自習になったとき、ちゃんと自習をしていましたか。 していなかったはずです。クラス中で大騒ぎをして、隣のクラスの先生などに、「お前ら、静かにしろ!」って怒鳴られていませんでしたか。子どもって、放っておかれると、遊び出すに決まっています。 「自由」だとか「自主性」だとか、そういう美辞麗句に騙されてはいけません。子どもは喜ぶかもしれませんが、それでは教育は成り立たないのです。 |
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