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吉田松陰は、 「大抵、師を取ること易く、師を選ぶことつまびらかならず。ゆえに師道軽し。ゆえに師道を興さんとならば、みだりに人の師となるべからず。また、みだりに人を師とすべからず。必ず、真に教うべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし」 と言っています。 『これは、いまの学校制度を見ていると、先生になることは簡単で、生徒は先生たちの人柄を調べたうえで、その学校に入るものは少ない。だから先生先生といわれても、それはあくまで表面だけのことで、軽いのです。もし先生を職業とするのなら、深く考えもせずに先生になるものではないし、また学校に入るものも、有名校とか先生の評判だけで入学してはならない。 先生たる人は必ず真から教えるに値するものがあって教壇に立つべきであるし、勉強する人たちもこの世で本当に役立つ勉強は何なのかをよく検討してから入校するべきである』 との意味で、教師として生徒にものを教える側の人にも、またこれから何かを勉強しようとして教わる側の人に対しても、まことに的を得た言葉です。 人間がこの世で多くの人たちと一緒に生活するのには、どうしても一定の取り決めに従う必要があります。この取り決めの最大のものが憲法であり、憲法のもとで制定された各種の法律です。そしてこれは法律ではありませんが、日本国民のあいだで脈々と受け継がれてきた民族の美風としての礼節です。いまこの礼節が崩れつつありますので、社会のいろいろな分野で、ほころびが出てきて問題になっているのです。 だから、この何よりも大事な礼節を軽んじるようでは、社会制度の崩壊につながり、ひいては大事な文化の否定にもつながりかねません。 礼節のもっとも象徴的なものは、 @ 謙譲(自尊心が低くし、一歩退いてものごとを考える) A 廉恥(心を清く保って恥を知る) B 惻隠(自分以外の人をあわれみいたむ) C 畏怖(おそれかしこむ) の4つで、これらはすべて、つねに他人の気持ちや病気や貧しい中で懸命に生きている人の生きざまのうえに思いを馳せるところに、日本の伝統的な思想というか美風がありました。 現在は、この大事な徳目(身につけなければいけない道徳性)を無視し、科学技術中心に、何でも合理的にすすめてきたところに大きな誤りがあったといえましょう。 とりわけ、4番目の畏怖についてですが、何をおそれかしこむのかというと、それは、第一に天に対してであります。そして聖人の言を畏れ、大人(たいじん)の言動に怖れることです。 古来、「天に口なし、人をして言わしむ」といわれるように、私たちは天の代弁者である聖人が書き残してくれたさまざまな教えを最大限に尊重し、次いでそれらの言葉を実行した大人(立派な先人)の行動を見習い、これを目標として日常生活に取り入れ実行するなら、大きな誤りを犯さずにすむというものです。 聖人の言は非常に多岐にわたっていて、私たち人間の生涯の心のよりどころになるものばかりです。いまその中から、いつくかを紹介しましょう。 @ 「人は名位(めいい)の楽しみなるを知って、名なく位なきの楽しみの真なるを知らず」 人間は名誉や地位を得ることが真実の楽しみのように思って、地位や名誉にとらわれますが、名誉も地位もないことが、本当の楽しみであることを知らない。 A 「悪衣悪食を恥ずるものは、いまだ議するに足らず」 粗末な服装をしたり、まずい食事をしているのを恥ずかしいと思うような人物は、まだ真剣に語る相手ではない。 B 「君子は水に鏡(きょう)せずして、人に鏡す」 立派な人物は自分の姿を鏡に映して自分を見るようなことはせずに、自分を取り巻く人々によって自分を知る。つまり、立派な人は自分の映った姿(この場合、自分の生きざま)を鏡で見ないで、自分を取り巻く人々によって自分の現在の生きざまや行為を知る。悪人には悪人が集まるし、善人には善人が集まるので、自分の現在がすぐわかるということです。 C 「玉、磨かざれば器を成さず、人、学ばざれば道を知らず」 ダイヤモンドも原石のままでは指輪にもならないので、磨くとかカットするのと同じで、人間も勉強し、自分を磨かないと、生きていくうえでの根本の道理がわからない。 D 「学ぶものは牛毛のごとく、成るものは麟角(りんかく)のごとし」 勉強する人は牛の毛ほどにも多くいるが、成功する人はキリンの角ほどにもいない。 E 「もし、真の自由を得んとならば、心中の奴隷を除くことから始めなければならぬ」 なにものにもとらわれずに、自分の思い通りに自由に生きたいと願うなら、心の中にひそんでいるもろもろの欲望を取り除くことから始めなければならない。 F 「咲く花を 歌に詠む人 褒むる人 咲かせる花の 元を知れかし」 身近なことには、私たち人間は一喜一憂しても、その原因を作った太陽の光熱による不滅の恩恵があることに思いを馳せる人は少ない。 G 「世の中を 恥じぬ人こそ 恥じとなれ 恥じる人には 恥じぞ少なき」 人間は社会で生きるのだから、控え目な姿勢で生活しなければならないのに、反省や自制心がなく、自分の思いのままに、しゃべったり行動する人は恥知らずな人である。それと反対に、いつも自分の言葉や行動を反省し、自制する人は恥をかくことが少ない。 そのほかにも、聖人の言葉は無数にあり、どれもみな、私たち人間が生きていくのに、絶対に必要で、どれ一つとして疎かにできないので、この言葉を畏れ慎んで実行することも大切でしょう。 ただたんに列挙して表面的に学ぶのではなく、真剣な気持ちで心から学ぶことによって日常生活に取り入れ、活気に満ちた人生を送ってもらう人間になってほしいと心から願います。 |
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