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ナポレオンいわく 「愚人は過去を、賢人は現在を、そして狂人未来を」と。 世の中は広いです。 人が知ることなど、およそ、恐ろしいくらい少ない。 この少ない見聞や経験のなかで、自分の能力や才能を誇り、自惚れ、自慢し、他人を見下し、号令をかけるなどはもってのほかです。 多くは、ふとしたきっかけで大金をつかんだとか、遮二無二、人を押しのけ、たいして人物でもないのに、たいして技量があるわけでもないのに、たまたまの縁で組織の長になった人間がふりまわす指示の恐ろしさは、言うべくもないほどの被害を他にも及ぼします。 大にしては第二次世界大戦のときの軍部の暴走。小にしては日々のニュースを賑わす輩など、こういうタイプの人は枚挙に暇がありません。 しかしそれは、私たち日本人独特の精神文化にも責任があるのかもしれません。 はっきりノーと言えないのが問題なのでしょう。
世にサル知恵という言葉があります。 猿回しが餌を、「朝に三個、夕方に四個やる」といったら、猿たちはいっせいに牙を向いて不足をいった。そこで、「朝は四個、夕方は三個」といったら、彼らは納得して静かになったといいます。 人間は猿どころではなく、天に届くほどの大量の金銀を積んでも、まだ安心できないという凄まじいばかりの欲望に覆われています。 世の中には、足ることを知るという大事な言葉を知らない小賢しい知恵の回る口達者な人間はいくらでもいます。他人は何も言わないため、このタイプの人は調子に乗れば乗るほど、ますます人に害を与え、ますます人が遠ざかっていくのです。
自分の思いとおりに事が運べば世の中、苦労することないでしょう。 誰だって、せめて、わが子だけは間違った人生を歩んでほしくないと思ううえから、世の親はしつけや教育に血道をあげるのです。今の日本の状況もそうですが、なかには「捨て育ち」の親もいますが、いずれにせよ、自分の思いどおりには育ってくれないものです。 ある知り合いの婦人は言いました。 「自分は厳格なまでのしつけと教育を子どもに施し、二歳違いの兄弟はともに国立大学を優秀な成績で出て、二人とも医者になった。そこまでは自分の思いどおりだったが、いま40数歳になる二人に、結婚相手の女性がいないので、それだけが気がかりで、死んでも死にきれない」と。 人間は生まれたときに、ひとしく一人一代かぎりの運命なり運勢を天からもらって、この世に来ています。 この子どもの本質は親といえども左右できません。なぜなら、親じたい、自分の思いどおりの人生だったでしょうか。どの親だって自分の人生に満足していないはずです。それだから、自分の失敗を子どもに味わわせたくない気持ちはわかります。だからといって、親の思い通りになる保証はどこにもないのが、世の中です。 「身体は産んでも心は産めない」のが人間誕生の本質です。これを親自身が自覚しないとダメです。 要するに、その都度ごとに最大の努力を払い、最善の方策で進み、あとは黙って天命に従うしか方法はありません。
三界とは過去世、現世、来世の三つの人間界をいいます。 過去世があったかどうかは、本当は誰にもわかりませんが、ただ人間は悟性(推論、認識、理解、想像などの精神性)でもって過去世はあると推論されています。 悟性とはものごとの本質、この場合、人が心得、行うべきところの道徳的なものに、なるほどそれはそうであろうと、心にうなずき、了解し、生き方の質を高める精神の作用性をいいます。 現世は生きた範囲で知れます。父母や兄弟の現世も聞いた範囲で分かります。 来世については、とかく議論があるところですが、正直なところ、誰にもわからないことです。 しかし、もし、明日の降水確率が50%なら傘を用意して出かけるように、来世はあると思うのが自然ではないでしょうか。もちろん、天気予報と来世を一緒にできるようなものではありませんが。 また、人生の一寸先は闇といわれるように、死後の世界も分かりようはありませんが、人の世はそのようなゴタゴタしたものを一杯ひっくるめて、今日も大きく渦まき回転しているのだけは事実です。 だから、自分一個の思案など小さい、小さい。 ある人が今日栄えているからといって、明日の身分が保証されるはずもないし、いま、貧乏だからといって、明日、どう、運命が展開するのか、誰にもわかりません。 人生とは、そんなものです。人間は、なぜ、この世に生まれてきたのでしょう。 |
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