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少なくとも、32歳くらいまでは、誰でも身のうちから猛烈な生命のエネルギーが出ていますから、なんらかの拍子で、物事がウマくいくと、なかには30歳になるかならないかで一国一城の主になったものもいるでしょうが、創業は易く守勢は難しいのたとえで、それから後、どう生きるかとなると、実はこのほうが本当に大変です。 歴史を振り返っても、さまざまな人が「我こそは・・・」の一念に燃え、懸命に頑張ったが、成功者はごくごく一握りの人でしかありません。 戦後の経済成長期の波に乗り、われも、われもと、手を広げ、事業を拡大した人は数知れません。それがバブルの崩壊で、続々と整理とか倒産。みな失敗のホゾを痛いほどかんでいます。堅実経営でもっと名の知れた老舗でも例外はありません。まして成金においてはなおのことです。心するべきは過大な欲望です。 しかし、自分の名声や欲望にこだわらなかった人は、最悪の事態を予測し、縮小し、整理して現在でも活躍しています。 時の勢いに乗ることと、名声にこだわることほど恐ろしいものはありません。
『ハッと思うは 神ごころ あとより打ち消す 人ごころ』といわれます。 だいたい人間の脳は宇宙と直結しているから、ヒラメキとして頭に浮かぶものはみな、最初は純粋です。 ですが、そのあとから人間の思案が始まって、いい考えもダメにしてしまうのです。人間思案とは、 「はて、どうしたものか・・・それじゃあー、どうしようか・・・」 というものです。そんなことを繰り返していると、最初の純粋なヒラメキはどこへやらということになります。 良くないアイディアなり、ヒラメキならそれでもいいでしょう。 しかしせっかくの良いアイディアやヒラメキなら、だいいち惜しいではありませんか。 そうして最初の良い発想からだんだんと遠ざかり、常識的な考えに落ち着いてしまうのです。
中学生ぐらいなら、いざ知らず、それ相応の年齢になっても自分は賢いなどと自惚れる人は、まずいないでしょう。 ですが、自分の身のうちに秘めている能力や才能に早くから気づいている者は、 「この件では、誰にも負けないぞ」 と思うくらいの自信を持って、どんどん磨きをかけるといいでしょう。自分の能力や才能に早くから気づいている人は、必ず勝てます。 しかし、成功不成功はおのずから別物です。 「成功しないのに勝つとは、何ごとだ?」 との不審もあるでしょうが、この場合の勝つとは、それだけ自分の才能の行使に没頭できる幸せがあるということです。 世間では、トコロテン式に社長になったが、自分の心は少しも楽しまなかったという人が、いくらでもいます。報われなかったとしても、自分の能力や才能の範囲のなかで生き、深い人生を味わっている人もいます。 どちらが幸いか、考えるまでもないでしょう。
自分の適性にかなった仕事、自分が好きで好きでたまらない仕事、自分が夢中になれる仕事につけた人は、たとえそれで金銭的に報われなくても幸せ者です。 しかし、どれだけ精緻をきわめ、どれだけ優れた能力や才能があっても、自分ひとりの力では世に出られません。 やはり、それを見つけ、世に送り出してくれる人との出会いがないと難しいでしょう。 いわれるところの名伯楽との出会いであります。 伯楽とは名馬を見つける目を持ち、そして大名にその名馬を取り次ぐ人をいいます。ですが、こんどは名伯楽の資質を持っている人が、これまた、たいへん数少ないのですから、どれだけ人並み優れた能力や才能があっても、世に出るのは非常に難しいということです。 自分の適性にかなった仕事に熱中できる人は、それ自体、すでに夢中になれるのですから、幸せといえます。しかし、夢中の裏には必ず苦があります。苦があるけれども楽しい、楽しいけれども苦しいものがあります。 これを人生の醍醐味といいます。
人間は本来的に美しいものに憧れ、醜いものを退けるように創られています。 しかし、どんなに美男美女であっても、いつかは見飽きられます。メッキは剥げます。それは魂の美には及ばないからです。 もし、ここでいう類型のない新鮮な感覚と高度な知性を身につけていたとしたら、花の香りは風にさからってまでは匂いませんが、良い人の香りは風にさからって匂うどころか、四方に向かってあまねく匂うでしょう。 夜の梅は姿形は見えませんが、香りでそれと分かります。 |
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