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とくに男子は妻子を養わなければならない(なかにはこの責任を放棄する男もいる)ため、ときとして想像もつかない苦労をしいられる場合があります。媚を売るなどは、このうえなく情けない悲しいことですが、家族の幸福を願ったり、みんなが生きていくのには耐えなければならない場面がいくらでもあります。それが世の中です。 しかし度を越した媚は、これほど見苦しいものはありません。 それはすでに弱気になっている証拠、つまり、もし性格がそうなら、もはや言うべきことはありませんが、そうでないなら、ここはいちばん、確固とした意志、不動の信念、それにかねての希望があれば、正々堂々と自分の思うところを披瀝し、実行するくらいの勇気がほしいところです。 しかし、大部分の勤務者は、一度や二度、そのような体験をして、現在にいたっているはずです。「仕える」ことだけを信条にすると、ともすると媚びる傾向になりやすいので注意しましょう。
会社とか団体とかの組織の中で働く人はもちろん、友だちとの間、あるいは奥さん連中の近所づき合いなど、生きていくために人間社会のいたるところで、否応なく保身に汲々としなければならないシーンがいくらでもあるでしょう。 こんなとき、人間は二股どころか、三股、四股、そしてついには、あの忌まわしい八方美人にもならざるを得ないのが、悲しいかな、人間の世界です。 ただそうは言いましても、心まで無節操になりさがりたくはないものです。なんとか努力し、ひとつ人より抜きんでることができたら、そのような厭らしい世界に住む必要はなくなるのです。 やはり、ここでも発想の転換と努力がモノをいいます。
自分の生き方が混沌として分からず、迷いを大きくしたり悩む場合が、人生には何回もあります。そのようなとき、当面、何もせずに静観して成り行きにまかせて、しばらく状況の変化を待つのが最良の策です。 霧はまもなく晴れます。そのときを待って、行動しても遅くはありません。 得てして、過大な目論見をする人、日頃から強気の人、自惚れの強い人、負けず嫌いの人、大きな野望を持っている人は、霧の中でもがいて、かえって事態を悪くしてしまうことが多いようです。 そんな気持ちの人間が、ひとたび状況が読めない中におかれると、なにをしでかすか知れたものではありません。 そして、疑心暗鬼に拍車がかかり、我が身を誤り、孤独と貧乏の淵に陥るのです。 とにかく、病むとか老いるとか、あるいは死ぬ間際でないかぎり、まだまだ時間はたっぷりありますので、慌てる必要などないのです。
いまの世の中、自分や家族が不意の事故に遭遇したり、不治の病魔に冒されたり、あるいは、健全経営をしていても相手企業から突然の不渡りを食らうなどして、自分や家族の所業によらずに避けられない不幸もたくさんあるでしょう。 ですが、ここでいう不幸とは、自分の行為によって不幸にさらされ、藁にもすがりたい気持ちになったときのことをいいます。 もともと人間は弱いものですから、そういう不幸だけでなく、途方に暮れてしまうような事情は日常茶飯事にいくらでも襲ってきます。 そのようなとき、どうすればいいのでしょうか。 何が悪かったのか、何が良かったのか、あるいは、あれが原因ではなかったのかなどと、頭の中をあれこれと去来するでしょうが、そんなことを追い求めても何も始まりません。とにかく、現状をどうするかを考えるべきです。 対策としては、 @ こちらの容貌を取り下げる A こちらに仕掛けがあるときは、未練なく縮小するか徹底する B 恥をしのんで、少しでも早めに現況を相手や周囲に話し、身の処置を先方にゆだねるなどの方法が大事で、それによって、今までの投資や資産を全部失うことがあっても、よりいっそうの最悪の場面や悲惨な自殺だけは未然に防げます。 C 嘘、偽りのない言動に終始し、相手の信頼を得る などが大事で、日ごろから節制に徹することが何よりも肝要です。 「もしかしたら、そのうちに現状が好転するかもしれない」 「まだ少しは、何とかやっていけそうだ」 などと楽観に考えることや 「少しでも、こちらの弱みを見せたら、たちまち潰される」 などとして、未練がましく現状に食らいついているのは傷口を大きくするだけです。何の効果も効用もありません。 |
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