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世上の栄枯は雲のように、すぐさま移り変わります。 そしてそのタチの悪いこと、まったく気まぐれとしか言いようがありません。 つまり、これといってはっきりした原因や正当な理由なしに、ある日、突然、移り変わるのですから始末が悪いです。 そんな頼りないものを追いかけたり当てにしていては真の人生は歩めません。ですからなるべく早く物外の理(現世の外で現世を支配している道理)を研究することです。 盧生(中国の学生)が邯鄲(中国の地方都市)の茶屋で昼寝していて、自分が中央政界で活躍し得意絶頂になっているとき、下っ端の告げ口で解任され、トボトボ故郷へ帰る夢を見て目が覚め、 「ああー、人生って、こんなもんだ。バカらしいったら、ありゃしない」 と、つぶやきながら科挙(官吏登用制度)の試験を受けずに、そのまま家に帰ったという故事があります。 まさに、地位や名誉は白雲のようなもので、遠からず泡と消えるものでしかありません。
いつも周囲の人にブツブツ不平を言い、いつも心に不満を持ち、そして、報われないのは他人のせいとか運が悪いからだと嘆いている人はいませんか。 それでは、彼らは、いったい、何に対してなら真剣に人生に立ち向かったというのでしょうか。一生に一度でいいから、ありったけの力を振り絞って、欲得抜きで事に当たって、文句を言うのは、その後にしても遅くはないでしょう。 いつも覚めていて、そのくせ世の中の何も分からないくせに、何ができるのでしょう。 不平のはけ口を自分以外に向けたり、不満のはけ口を相手にするのは、人間として最低です。
人間は誰でも自分で気づかない素質とか才能を持っているもので、親兄弟や他人に分からないものを、一つは秘めています。ただこれらの潜在能力とか才能が形になって早めに出る人もいれば、何年経っても自分の能力や才能が分からない人もいて、悲喜こもごもの人生になります。 しかし、心配することはありません。それが見つかるまで、ほかの何かにしばらく取り組んでみることです。 「積水」という会社がありますが、あの社名は 「積水、淵を成せば、蛟龍生ず」という中国のことわざから出たものでしょう。 なにごとも倦まずたゆまず努力すれば、つまり一杯のバケツの水でも汲んでは運び、汲んでは運びして、それを流し続けたら、いずれはそこが淵になり、そして竜さえ住むようになるということです。 なんでも、それぐらいの根性でかかれば、ものごとを大成できないことはないし、素質や才能は開花するものです。
芸術家なら絵心を持って自然を見られるでしょうが、私たち凡人には、なかなか難しい相談です。 良寛が里で花見をしたあと、彼が住居の五合庵に帰る後ろ姿を見て、 『世の中の 花を袂に 掻き入れて 立ち帰るらん 白雲の山』 と詠んだ人がいたそうですが、いかにも詩情豊かな美しい風景が想像できるではないですか。 しかし、良寛が果たしてそのような気分で帰ったかどうかは、ちょっと疑問です。 その良寛の作といわれるのに、 『世の中で 恋しきものは 浜辺なる サザエの貝の 蓋にぞありける』と。 サザエの蓋は丸く、つまりお金に通じています。年中、貧乏暮らしの欲しかったのは桜ではなく、実はお金だったのかもしれません。あんがい人間とはそんなものなのでしょう。 理想としては、社会の中では実務家としてお金を稼ぐことも大切ですが、風雅な人格も持ち合わせたいものです。
朝、奥さんが旦那を起こしに行ったら、夜中に死んでいたとは、よく聞く話です。だから、人の世の儚さをつねに覚悟して活きる心構えが必要です。つまり、毎晩、寝るとき、今日が人生の総決算だと思って寝ることです。 そんな覚悟をして毎日生きるなら、少なくとも死出の旅路に後悔することはないはずです。 第一、仕事にも張りが出て、洋々とした前途が開けようというものです。 |
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