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近ごろの若い人は、辛抱するとか我慢するとか、あるいは協調するような気持ちが薄いためか、簡単に離婚する傾向があります。最近は、結婚した3組に1組が離婚するらしいですが、どういう事情で離婚するのでしょう。それぞれもっともな理由はあるのでしょうが、それにしても、人間の基本生活が、こうも簡単に崩れるようでは憂慮にたえません。 夫婦は一生を通じて、最も仲良くしなければならない相手です。 それには自分の考えを押し付けるよりも、相手の心を徹底して理解することです。したがって、つねに悲喜こもごもの日々を夫婦として分かち合う仲であること、これが一番ではないでしょうか。 寒い冬に湯船に少量の酒を入れてゆっくりつかると、身体が芯から温まります。二人のあいだもそうではないのでしょうか。ほんの少しの愛情とか思いやり、これが長続きする最良のスパイスです。 人生の良さは過ぎてみないとわかりません。どれだけ科学が発達しようと、文明の利器が開発されようと、人生、一寸先はいつも闇です。 「急がざれば 濡れざらましを 旅人の あとより晴るる 秋の村雨」 要するに、「あとの後悔、先に立たず」です。 せっかくこの世に生まれた人生であり、しかもただの一度しかない自分の人生です。 最後まで辛抱し我慢し協調して、この世に生まれた意義を示すために、自分だけの立派な花を咲かすのもいいのではないですか。 ある場合には、最初にあまり相性が良いのは考えもので、自然に相性が良かった分だけ、一度二人の間にヒビが入ると深刻なものになる可能性があります。 それを思うと、「お茶漬け夫婦」こそ、しみじみとして味わい深く、「終わり良ければすべてよし」の夫婦になるのではないかと思ったりします。 さて、夫唱婦随ですが、かつては徹底した男女平等を唱えるフェミニストがいて、一時は、婦人の「婦」の字は、女が箒を掃除する意味にかたどった文字だから、この字を使うのはダメだなどと主張していました。 「女」という字は女性が正座し両手を畳について、うやうやしく畏まっている姿に形どったものです。また母という字は女性が結婚し妊娠し、産み月が近づくにつれ、自然に両の乳頭が黒くなる変化を、二つの「,」であらわし作られたものです。 これらにケチをつけるのであれば、日本語からすべて女偏にかんする文字を全部消去しなければなりません。 あまりにも馬鹿げた考えではないでしょうか。 男女の差は生まれたときに厳然として決まっています。 男は総じて社会的立場で物事を判断できるし(広い世間にはそうでない男もいるので、いちがいに断定できませんが)、女性は総じて自分や自分の家族を中心に考えて(広い世間にはそうでない女性もいるので、いちがいに断定できませんが)いるものです。 人間はオス的とメス的に肉体上の差があり、それが男女両性の心とか精神というものを形づくっており、生まれたときから遺伝子にインプットされているのです。それをすべて平等にしようとするところに無理があるのです。 夫唱婦随を『天男地女(てんなんちじょ)』とも言います。 私たち東洋人は昔からこの思想に貫かれていて現代にいたっています。 これは天を男性とし地を女性にたとえる東洋哲学上の用語で、天の気は春から夏、夏から秋と、順にうつろう季節の気を天は地上に降ろし、それが万物創造の元になる作用を司っているし、地はそんな天の気を素直に受け、たとえば春には春野菜、夏には夏野菜が収穫できるように万物を育んでいます。 要するに、男と女はお互いに役割を違えながらも、協力し合って物事を達成できるような仕組みになっているということです。 この道理は、天地が創造されたときから、現在まで変わることはありません。 夫婦の形態は、夫婦の数だけあって、二人の考え方もそれぞれあるでしょうが、男女の役割はお互いが補完することによって、家族が円満に行くことだけは確かなことです。 形式的な男女平等は、夫婦の関係を破壊するものですので、注意しましょう。 |
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