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こんな話があります。 「きき酒の通」に言わせますと、日本酒の味は「香り」「色つや」「まろやかさ」「味わい深さ」「あとに残らない」などが、渾然一体となっているのが、上質の酒だそうです。 これを人間に当てはめますと、 @ 何かを言うのでもないのに存在感がある。香りに該当します。 A 次に心身ともに健康。それが顔つきや色つやに表れる。 B 個性はあるが、カドがない。人格のまろやかさ。 C 付き合えばつき合うほど、豊かでおっとりした人柄に惹かれる。 D 別れた後、何とも言えないほのぼのとした気持になる。 このように表わされる人なら、心にわだかまりがなく、日々を楽しく送っている人と言えるでしょう。 人間の栄光はなにも地位や名誉やカネだけではありません。 もっともっと身近なところに生きて幸せ、生きて満足というものが、いくらでもあります。 つまり、いますぐ手の届くところに、私たちの幸せがあるということに気づくことです。
教養、これはたしかに大事です。人としてなくてはならないものです。 だからといって、いつの場合も、これが優先するとは限りません。まして常識は、つねに自己利益を中心にしたものですから、自分の常識を振り回すと周りの反発にあいますが、たまにこれが勝つ場合があります。 恥も外聞もなく猪突猛進する。 いわゆる「無理が通れば道理が引っ込む」という破れかぶれの方法です。 しかし、こんな方法が、いつも通用するわけではありません。相手の理不尽に対し、こちらも絶体絶命の切羽詰った緊張時だけにするべきです。 極端な話ですが、相手が実行しようとする自分に対する害が、自分の子や孫の未来にまで影響するとしたら、これは常識を振り回している場合ではありません。闘わざるを得ないでしょう。 しかし、それ以外は忍の一字と心得ましょう。
社会は経済中心にうごめいています。 あの崇高な政治だって、けっきょくのところ経済の動向が中心です。したがって私たち凡人は、なおさら欲望中心に動いています。純粋無垢な愛情だって、最後は金銭にたどりつく話はいくらでもあります。 関西では「カネがないのは、クビがないのと同じ」といわれます。 この理由で、人は必然的に金儲けに奔走します。なぜなら、お金がなければ妻子を養えないどころか、最後は自分もクビをくくらなければならなくなるからです。たしかにお金を得ることは大切な問題ですが、そのための手段にはとくに気をつけないと、ますます泥沼にはまってしまうでしょう。 あまりにも自己中心的な欲望のおもむくままに突っ走ると、なにも小人(できのよくない人間)が相手でなくても、ちょっとしたスキにつけいられ、損害を重ねるものです。 昔から、 「カネもうけと死に病いは死ぬまでしんどい」といわれます。 つまり、いったん過大な欲望にとりつかれたら、大手企業もそうでない企業も、偉い人もそうでない人も、ともに同じ風にさらされます。 かつてのバブル崩壊後の倒産整理、あるいは精算や合併などを見ますと、そのあたりの事情がよくわかります。
生きがいは、1日ぶらぶら過ごしていて、天から与えられるものではありません。 人生、いかに生きるかは、それぞれの人の心一つに任せられています。しかし、それはこの世でしなければならない使命があるからで、大事なのは、その使命を果たすことです。 人間にある苦労や悩みは、誰にでもあるので、宗教でいうところの因縁とか前世の報いでもなんでもありません。ただそれがもたらす不幸と感じられる事柄わ、大きく受け止めるか小さく受け止めるかの意識としての個人差はあっても、業(カルマ)には、もともと大小の区別はありません。 簡単にいうなら、万が一にも不幸ごとに見舞われたら、それこそ、 「闇夜に鉄砲玉が当たった」 くらいに思って、あきらめるしか仕方なく、それ以上の深い理由は追求しないことです。 だからここで言います使命を果たすとは、もともと因縁でも前世の報いでもなんでもありませんが、天が与えた自分への試練として、素直に受け止め対応するところに知的生物としての人間の偉大さと奥深さがあります。 そしてそれを意識し自分の修養に転換することによって人格はますます輝くとともに、ますます深まります。 |
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