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人間の行動、判断のほとんどは、善・悪、損・得などの価値基準によって決められていることは言うまでもありません。 大人の世界では、すべての行動、判断を損か得かで決める人間を「勘定高い」などと言って軽蔑しますが、その点、子どもはじつに「勘定」も「感情」も高い存在です。この子どもの特性をうまく利用しないと、しつけが単なる修身や道徳に終わってしまいます。
大人の世界では、損・得という本音と、善・悪という建前がうまく調和されていますが、子どもは本音と建前を使い分けられるほど器用ではありません。 行動、判断の基準が、損得勘定ならぬ損得感情で決められることが多く、「本音」も「建前」もありません。ところが世の親は、しつけという言葉にとわられてか、とかく善・悪を表に出し、損・得を裏に引っ込めるようにします。このため、しつけにおける親と子のギャップは、このような親の対応の仕方から生まれてくるのです。 このギャップを埋め、子どものわがままな要求を退けるには、子ども特有の「損得感情」に訴えるのが早道です。彼らは、自分にとって何の得にもならないことは絶対にしようとしませんが、いったん得になることがわかれば、じつに素直に従います。 親の与える賞罰によって、子どもの行動や判断が決められることが多いのを見ても、子どもがいかに利己的で「損得感情」に左右されやすい存在かがわかるでしょう。
子どもに勉強させたいと思ったら、勉強することがいかに「得」になるかを子どもに考えさせることです。 たとえば、子どもに文字を覚えたいという欲求を起こさせたければ、親が一方的に「覚えろ」と押しつけるのではなく、文字を覚えれば、新聞のテレビ番組欄やマンガが読めるようになる「得」を、子どもに気づかせるようにすればいいのです。しつけといえども、その点では変わりはありません。 子どもがわがままで、親の言うことを少しも聞こうとしなければ、そうすることが自分にとっていかに「損」なことかを納得させる現実的な方法を講じればいいのです。 子どもが何かモノをねだったり、親の言いつけを守らなかったりしたとき、そのわがままが通れば、その場では「得」をした気になっても、長い目で見れば、「損」になることを具体例を示して教えてやるのも一法です。 早い話、親の言うことを聞いていればもっといいモノを買ってもらえることもあるし、どこかへ連れて行ってもらえることはよくある例です。そういう「得」が待っていることを、子どもにそれとなく伝えておけば、子どものわがままは自然に影をひそめるはずです。 それを本音を隠し、建前でしつけようとすれば、子どもが親の言うことを聞かなくなるのは当然です。本音と本音のぶつかり合いによってこそ、親子の信頼関係が確立されると言っても決して過言ではありません。 本音で迫るか、建前で通すか、「どっちが得か、よく考えてみる」必要があるのは、じつは親のほうなのです。 |
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